福岡県久留米市から全国のみなさまへ
心を込めてお送りいたします♪

紅乙女酒造様へ 天気も良くて最高でした!

紅乙女酒造さんについて、聞いてみよう!!

 Q、紅乙女酒造さんは、創業何年?

A、1978年創業。 なんと 私たち夫婦の2つ年上でした

創業者 林田春野さんのことについて、お伝えします。

林田 春野さんが田主丸町の若竹屋酒造場に嫁いだのは昭和5年(1930年)19歳の時のこと。戦中・戦後にかけ、4人の子育てをしながら蔵元の経営を支えていました。洋酒ブームに押され、若竹屋酒造場の日本酒は売上減少、その頃、ご主人(12代目伝兵衛さん)が病に倒れます。春野さんは、「ウイスキーやブランデーに負けない日本の蒸留酒を造りたい!」との思いで、焼酎を造ることを決意!

 

Q、ごま焼酎って、どうやってできたの?

A、 トウモロコシ、きび、干し柿などで試行錯誤するも、うまくいかず、ごま油を垂らしてみたところ、独特の臭みが消える、香りの良いお酒になったことから“ごま焼酎”が始まります。また、熟成させるとおいしくなることを発見した春野さん、熟成庫のカギは春野さんご本人しか持っていなかったとか。それほどまでに、大事にされていたのでしょうね。

既成概念に捕らわれない自由な発想で、突き進む春野さん。ご主人の分まで頑張ろう!と必死だったに違いありません。

 

Q、世界初!完全オリジナルの“ごま焼酎”、販路拡大するのは大変だったのでは?

A、出来上がった“ごま焼酎”の小瓶をキャリーバッグに沢山詰め込んで、東京へ。ホテルや飲み屋さんに紹介して回ったそうです。今から約20年前、東京に住んでいた主人は、電車の中での広告で、【紅乙女】の名前を毎日のように見ていたそうです。テレビCMも流していたそうで、見たかったですね~。 それほど、宣伝広告にも力を入れていたのでしょうね。この頃春野さんの年齢は、60代後半。いやぁ、パワフルですね!

同じ頃、HBA創作カクテルコンペティションにて、中州にあるBAR倉吉さんが作られた紅乙女ゴールドをベースにしたカクテル「舞・乙女」が優勝。こうして、春野さんの地道な活動とともに、【紅乙女】の知名度は全国に広がっていきました。

 

Q、著名な方も飲んでいたと聞いたことがありますが?

A、志村けんさんは、「クリスタル」(現在は販売終了)を飲んでいたそうです。自叙伝「志村流(マガジンハウス)」に載っています。行きつけのお店ではこればかり、ない場合は、取り寄せて置いてもらっていたとか。

 

Q、「」酎ではなく、「」酎なわけは?

A、「祥」に込められた思い。当時、全国的に飲まれていた焼酎は、本格焼酎ではなく、安酒のイメージ。焼酎の持つイメージを変えるため、「幸せを運ぶお酒でありたい」という思いを込めて、おめでたいしるしの意味を持つ「祥」を用いて祥酎と呼び、喜びあふれる「口福(こうふく)の酒」として世に送り出しました。

 

営業担当 イケメン小柳さんにいろいろとお聞きして、春野さんの思いを受け継がれていると感じた、今日の蔵訪問でした。お話しを聞かせていいただき、ありがとうございました

 

☆紅乙女酒造HP

 紅乙女酒造 | ごま焼酎の紅乙女、福岡県久留米市田主丸町。 (beniotome.co.jp)